育児

娘と初ランニング

最近なぜか娘は「運動」にはまっています。(って自分の影響か?)
幼稚園の週一の体操クラブも楽しいらしく、よくその話をしてくれます。

そこで今日の午前中は「腕立て伏せ」や「腹筋」をして遊び?ましたウッシッシ
やり方を教えたら、一人前に腕立ても腹筋も楽しそうに頑張っちゃう娘の姿にちょっとビックリしました。そこそこちゃんとできてるし手(チョキ)

今日の夕方に「そろそろ走りに行こうかな」と言った時、

「一緒に走るー走る人」と娘が言いました。

そこで、小雨のパラつく夕暮れのマンション周りを二人で走りました。
超スローペースでウインク
でも娘は、午前中の腕立てや腹筋の時も感じたけれど、自分が思っていたよりずーっと成長していました。ちゃんとジョギングペースでしっかりと走っていました。
マンションの周りを3周。たぶん合計1.3Kmを10分ちょっとぐらいだったと思います。

走っている最中、

「ねえねえスゴイでしょるんるん(本当にそう思うよ)」とか
「ねえパパ、二人で走るほうが楽しい?ハート達(複数ハート)(もちろん!)」とか
「今度ちびっ子の大会に出たい!走る人(それはいいね)」とか
「これから5Km走ろうよダッシュ(走り出す様)(いきなりそれはちょっと無理でしょう)」とか

いろいろ話しながら走りました。雨も全然気になりませんでした。


その後、娘を部屋まで送って自分は再度外へランニングに出かけました。途中雨がひどくなって土砂降りになったけど、心の中は暖かいまま走れたかな。

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二人だけの日曜日

先日の日曜は、妻の都合により、朝から晩まで娘と二人で過ごす初めての日になりました。

 

考えてみると、自分と娘で半日程度過ごすことはあっても、不思議なことにこの5年の間、一日中ってことは一度もありませんでした。

でも大丈夫。小さな頃は母乳しか飲まず、さらにママがいないとグズってずーっと大泣きしていた「超ママっ子な娘」ももう5歳です。賢いと評判(と親は思っている)の娘は、十分に分別がついているはずです。

さらに最近は、昔以上にパパと遊ぶことも大好きだし(たぶん)、娘は今スターウォーズのDVDが大好きで、それはパパの得意分野です。

 

さて、結果は・・・

もう、全然OKでした。

 

まあちょっと、いろいろおねだりされて買っちゃったりしたけれど(ミスタードーナッツのおもちゃセット&アニマルカイザーのフィギュア付きガム&ポケモンシール付きパン)、

さらに、お菓子もちょっと食べ(過ぎ?)たけど(トンガリコーン、ソーダ飴、ジャガビー)、

まっ、許容範囲内でしょう。(?????)

 

そして夜、お風呂に入れて歯磨きさせてた時に「ホント手がかからなくなったなー」と、(全くベタな表現ですが)我が子の成長に感動もしていました。

 

最後に、眠くなった娘をベッドに連れて行った時に、

「パパ、横に一緒に寝なくてもいいよ」と優しく?言われ、その言葉の中に「だって横はママの場所なんだもん」との意味を見つけた私は、多少の胸の痛みを感じながら電気を消したのでした。

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おばけすごろく

先週の土曜日は、朝から仕事だったけれど夕方6時にはあがらせてもらいました。というのは、自分の高校時代からの友人たち夫婦2組と一緒に「クリスマスパーティー」をする事になっていたからです。

まあ、クリスマスパーティーといっても、お店での食事会&プレゼント交換だけのいたってシンプルなものです。でもシンプルがゆえに何年も続いています。

うちの娘にしても、赤ちゃんの頃から接してもらっているので、何時会っても楽しそうにしています。



今回の食事会は、その友人の奥さんの高校時代の同級生が夫婦で経営しているお店で行いました。
アットホームな雰囲気で、食事も美味しくて、さらに感動したのはワイン!どれも最高においしかった。もともと自分も好きなドイツのモーゼルを中心として、大人6人で4本空けました。(+ビールやグラスワインなども)
といっても、自分はこの仲間で飲んだ前回(秋のビールフェスタ)の失敗があるので、一応自分的にはセーブしたつもりです。その甲斐あってか今回は大丈夫でした。



さて、プレゼント交換ですが、夫婦間のプレゼントは『2000円以内』とのルールを決めているので、毎年アイデア勝負のような感じです。といってもキッチン用品なんかが多いかな。

さらに今年は、2組とも娘へのプレゼントを用意してくれていました。
そしてそれが今回、娘のツボにピッタリとはまったみたいです。

「おばけすごろく」(写真参照)
001
もともと、せなけいこさんの「おばけシリーズ」は、絵本もDVDも娘のお気に入りで、おばけのキャラクターもほとんど覚えているぐらいです。だからこのすごろくも大喜びでした。
家に着いたのが夜10時ごろで、いつもだったらとっくに寝ている時間だったけれど、「一回だけでいいからやりたい!」と泣きながら訴えられて、やりました。


そして今日・・・たぶん30回はやった気がするな。

そして、今年の年末年始であと何回ぐらいやるのかな?
100回は越えるだろうな・・・、数えないけど(笑)

でもまあとにかく、楽しい週末でした。おしまい

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「ちゃー」

はたして、我が子(娘)は何歳まで「抱っこ」と言ってくるのかな?

 

先日の家族(自分・妻・娘)でのお出かけの際、娘(来月で5歳)がいろいろと理由(足が痛いとかetc)をつけては、

「抱っこ」とせがんできました。

 

甘えながらバブちゃん言葉(←赤ちゃん言葉のこと)で、

「抱っこ」 から 「ちゃっこ」 となり、最後には 「ちゃー」 と言いながら両手を伸ばしてくる娘。もうそんなに軽くもないし、ずーっと抱っこしているのは大変ではあるのですが、

「抱っこって言ってくるのも、あと何年あるんだろう?」

と思ったら、そんなに苦にもならない自分がいました。

 

娘の成長は「嬉しい」ものです。でも、その反面「寂しい」ものもあるんだろうなー、と思った一日でした。

「抱っこ」と言ってくれる限り、この腕が壊れない限り(←かなり大袈裟)、抱っこし続けるぜ! と決意した私でした(笑)

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娘に祝われた誕生日だった

昨日は、自分の誕生日でした。

といってもこの年になると特に期待もしていなければ特別な日って感じもなかったのですが・・・

今年は違いましたうれしい顔


まず、前日に帰宅した時、テーブルの上に娘(4才)からのお手紙が載っていました。

『ぱぱへおたんじょうびおめでとうとんがりこんのぷれぜんとあげるねハートあまねより』

◎◎訳◎◎
「パパへ お誕生日おめでとう。(パパの好きな)トンガリコーンのプレゼントあげるね。 あまねより」

ジーンときました泣き顔(実際は泣いてないけど)


そしてその日の朝、なにやらむこうの部屋でガタガタやっているのが寝室からも分かります。


「パパ来てー」の声でリビングに行くと・・・飾り付けられていました

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そしてその飾りつけの先には、娘からの手紙が

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その後、日常の買出しにいろいろと出かけ、夕方に家の前のケーキ屋さんでケーキを買い、

(たまたまその時、作りたてのケーキをショーウィンドーに並べていたから、「その作り立てのケーキください」って買ったら、娘が「作りたては嫌」と泣き出して、なぜかを聞いてみたら「ケーキは冷たい方が好き!作りたての熱いケーキは、食べられないもん涙」だって。なんて可愛いんでしょうハート達(複数ハート)←完全なる親バカをお許しくださいあせあせ(飛び散る汗)

家でケーキを食べました。新栗のモンブランバースデー最高に美味しかったです。

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そんなこんなで、予想以上に(それも大幅に!)素敵な誕生日を送りました。

娘と(もちろん、それをフォローしてくれていた)妻に、「ありがとう!」

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ハロウィンって・・・その2 <ランドにて>

(この記事は、他所の日記と重複しています)

今日、急にディズニーランドに行ってきました。(かなり急に休みが取れたので)

娘は幼稚園があったので、6時から入場のチケットを購入しました。

そして・・・



るんるんすごく楽しかったでするんるん

☆高速スイスイで、早めに浦安(けして東京ではない!)に着いて、
☆娘が車で寝ちゃったのでコンビニの駐車場で時間潰して、
☆ランドの駐車場でちょうど娘が起きて、
☆入場口まで歩いている間に、帰りがけの家族連れから「プーさん」と「バズ」のファストパスをなぜかもらって、
☆6時きっちりに入場して、
☆まずは「キャラメルポップコーン」買って、
☆自分がパレードの場所取りしてる間に、娘と妻はアトラクションに行って、
☆エレクトリカルパレード見て、
☆次のハロウィンのパレードまでの間、今度は逆に自分と娘で「プーさん」(←ファストパスもらったやつ)に行って、
☆ハロウィンのパレード見て、
(もうここで9時半)
☆妻がおみやげ買いたいと言うから、自分と娘でトゥーンタウンのコースター乗りに行って、
☆「何か一つだけいいよ」と言ったら娘が欲しがった「風船」を買って、
☆ケロロ軍曹ごっこをしながら二人で手をつなぎながら歩いて、
☆妻と合流して、

帰ってきました。


たとえ、

★行く前は、「たった4時間しかいられないなら今日じゃなくても・・・」と思ったけれど、
★目覚めた娘がトイレに間に合わなかったけれども、
★駐車場が2000円もとられても、
★そのくせ、ものすごーーーく遠くの駐車場に案内されても、
★娘までキッチリ大人と同じ料金(6時からのなのに一人3100円!)でも、
★6時ピッタリまで入場できなくとも、
★平日の夜なのにすごく混んでいても、
★ランド全体が、一大コスプレ会場になっていても、
★寒空のした、一人でワンセグのニュース見ながら場所とりしてても、
★ハロウィンのパレードで目の前で踊っていたお姉さんの衣装が刺激的で、目のやり場に困っていても、
★結局、トゥーンタウン近辺しか行けなくても、
★駐車場から出る車の列が渋滞していても、

やはり楽しかったし幸せでした。


写真撮ったり、パレード見たり、3人で手をつないで歩いたり、みんなでポッポコーン食べたり、ライトアップされた綺麗な景色に見とれたり。


学生時代や社会人になってからの、大人と行くディズニーランドも、まあ楽しくないことはなかったけれど、
小さな我が子と行くディズニーランドとは、決定的に何かが違います。
自分が感じる「楽しさ・幸せさ」の質が決定的に違います。

そんなことを感じていました。

帰りの車の中で、後部座席で寝ている二人を見ながら、そんなことを思っていました。

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ハロウィンって・・・

自分自身、ハロウィンって無関係に生きてきました。

基本的にそれは今もそうです。実際、クリスマスもそんなにワクワクしません。

『日本人ですから』という(頑なな)気持ちがありますから。

 

でも、そんな自分の了見の狭い偏狭な考えなんて、わが子の楽しそうな笑顔とは「全く比較の対象にならない」わけです。

固執するに足らない主義主張なんて、笑顔の前では完全に無力です。

 

仮装パーティー、行きましたとも。ええ、参加しました。

「人生初って、悪いもんじゃない」

ここ数年痛切に感じています。

そう、悪いもんじゃない。

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生き物好き その2

我が家の娘は「生き物好き」です。(今までのことは下記参照)

http://jidaiokure-blog.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_b602.html

仕事柄、生物も教えている自分にとってそれは喜ばしいこと。

でも時には・・・

(だって、ナメクジやミミズを「お世話する~」だの「飼いたい~」だの言って持ってこられると、さすがに・・・)

 

昨日、家族3人でキャンプに行った時のこと。キャンプ場(森の中)では、普段(マンション)以上に様々な生物が見つかるのが、娘にとってはとっても楽しいらしいです。ミミズをお世話していたり、キリギリスに咬まれたり大きな蜘蛛にびびったり、それはそれは楽しそうに過ごしていました。

 

そんな娘に、我が家の中でもささやかなプレゼント?がありました。

①夏休みのこと、我が家の中(部屋の中ですよ!)にヤモリが出ました。

ちっちゃな赤ちゃんヤモリ、早速捕獲して飼おうとしたのですが・・・・・餌付けできませんでした。娘は熱烈に飼いたいと主張したのですが、赤ちゃん(ヤモリ)にこれ以上負担をかけたくはないので、逃がすことにしました。外で放した時のヤモリの様子・・・最高に可愛かったです。嬉しそうでした。それを見ていた娘も(残念な気持ちもありながら)嬉しそうでした。「ヤモリさん、お家に帰れて良かったねー」と言っていました。

②カブトムシの幼虫が育っています。

この夏、娘が友人宅からもらってきたカブトムシのツガイ。成虫は夏の終りと共に天寿を全うしたのですが、しっかりと幼虫が育っています。それを昨日発見し、娘に知らせたところ大喜び。すぐに掘り返して「お世話するー」と言うのを何とか止めさせました。このままスクスク育ってもらいたいものです。

 

望む人のところには、いろいろ集まってくるのかな?と感じた夏でした。

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生き物好き

娘は生き物好きです。小さな頃からの絵本の影響か、とにかく生き物が大好き。父としては嬉しいことです。(下記ブログ参照)

「飛び去る蝶と細い月」 http://jidaiokure-blog.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_44a9.html

「成長するとは、失うことでもある」 http://jidaiokure-blog.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_8abe.html

 

ただ、スーパーの魚屋などで「ドジョウ」や「沢蟹」なんかが売られていると、その前から動かなくなります。やっと動いたと思ったら、「ちょっとまた見てくるね」とか言って走って戻っていきます。そして、なかなか買い物が終わりません。

 

ところで今日は、以前から約束していた「蝉取り」に行きました。(採ったセミは、明日の朝に逃がすのも約束)

うちのマンションは結構規模の大きいマンションで、敷地内に竹の子の生える築山があったりするので、木はたくさんありセミもたくさんいます。そんなわけで、網と虫かごを持ってマンションの敷地内をウロウロ。

娘は「マネが自分で捕まえるから」と勇ましく言っていたものの、いざその段になれば「パパがとって」と、少し遠くから見ていたし、さらに、虫かごに入ったセミが「ジジジジ・・・」と暴れていると虫かごも持てませんでした。娘は案外ビビリなようです。

そして、虫かごの中が当初の目標だった3匹になり、

途中羽化する前の(抜け殻になる前の)セミの幼虫が木を登っているのも観察し、

(虫除けを塗って行ったにもかかわらず)お互いに何箇所か蚊に刺され、

家に戻ってきました。

いかにも「父と娘の夏休み」といった一日でした。

でも・・・セミは・・・ジジジジとうるさいです。

 

最後に・・・家に帰って虫刺されの薬を塗ったとき、その数を数えてみると、

娘は5箇所、自分は14箇所。

まだまだ若いもんには負けません(笑)

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「納得」は、理屈じゃないな

先日、妻と娘(4歳)とスーパーに行ったときの事です。

シリアルのコーナーで娘が妻に必死に訴えていました。

 

「だって、ビデオがついてるんだもん!」

「これ買うんだもん!」

 

どうやら、娘が言っていることを総合すると、「テレビのコマーシャルで、このシリアル(ケロッグだったかな?)には、その箱の中にビデオ(=CD?)が入っていると言っていた」らしいのです。

でも、実際にその箱にはそんなことは書いてありません。

 

「ねえ、ほら見てご覧、この箱のどこにも書いてないよね」

「入っているなら書いてあるはずだよね」

「だってテレビで言ってたもん」

と、堂々巡り。妻は用事を済ますべく他のコーナーへ行きました。

普段だったら自分もシビレを切らして、「いい加減にしなさい!」とか言ってしまうんだけれど、この日は粘り強くいろいろ話せました。

「じゃあ、テレビに出ていた箱には何か書いてあった?」

「ここのところにビデオの絵(たぶんCDの絵)が書いてあった」

「そっか、でもこの箱にはその絵はないよね」

「でも、テレビで言ってたもん」

 

こうなってくると、理屈じゃないですよね。

たぶん、娘も分かっているはずです。「この箱の中には入っていない」と。

だけど、それを認めたくない・・・。(意地というより、こうあってほしいという願望が強すぎるからかな?)

 

そこで、自分は「(理屈じゃなくて)気分的に納得するまでとことん付き合おう」と思いました。普段はなかなかそんな風に思えないけれど・・・。

「よし、じゃあここ(スーパーの棚)にある箱、全部調べよう!」

といって、一つ一つシリアルの箱を手に取り、娘とその箱の周りを点検して

「無いねー」

「うん、これは違うねー」

とやり始めました。そうすると・・・みるみるうちに娘の表情が良く(楽しそうに)なってきて、頑なだった気持ちがほぐれてきたのが分かりました。

「これも違うねー」

「パパ、マネこれ持ってるから、パパそっち探して」

「うん、分かった」

 

かれこれ3~40箱ぐらい調べたでしょうか。(スーパーの方、ごめんなさい。でも後で全部ちゃんと片付けましたよ)

「無かったね」

「うん、無かったね残念!」

と、笑顔で楽しそうに言った娘を見て、「こういった接し方もあるんだな」「理屈じゃないな、気持ちだな」「今日は、今までとは違った接し方ができて、自分にとっても良かったな」とか考えていました。

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カブトムシがやって来た/ヤァ!ヤァ!ヤァ!

(これは、別のところに書いている日記と同じ内容です)
 

 
昨日帰宅した時、玄関の自分のところに娘が
「パパー、スゴイものがあるよ!」
と駆け寄ってきました。

そして娘は、「あのねー耳かして」(←なぜ内緒話?)

「カ・ブ・ト・ム・シ!」

といって嬉しそうにリビングへ。
そこには、始めてみる虫用の飼育ボックスが。

娘の友だちのお父さんがカブトムシのブリーディング?を趣味にしていて、娘に一つがいプレゼントしてくれたのでした。

「ねえパパ、虫ゼリー、カゴの中に入れて」
「マネが自分であげればいいじゃん」
「だって、マネ、カブトムシ飛んだら怖いもん」
「そんな簡単に飛ばないから大丈夫。だって今、カブトムシ2匹とも土の中に潜ってるよ」
「やだー、パパあげて」
「ハイハイ・・・」

初めて見る本物のカブトムシは、興味津々だけれど、でもちょっとだけ怖い存在らしいです。
でも、子供向けの簡単な虫図鑑を見ながら、

「オスは3匹入れたらケンカしちゃうんだよ」とか、

「虫ゼリー無くなったら、乳酸菌飲料とか蜂蜜とか入れるんだって。ねえパパ、乳酸菌飲料って何?それうちにある?」(って、いつも飲んでるヤクルトがそれだよ)

「カブトムシ、土の中でかくれんぼしてるのかな?ってことは鬼は誰だろうね?」(???、かくれんぼじゃないと思うよ)

「ねえ、カブトムシが結婚して赤ちゃんできたら、うちも4人家族になるね~」(???????)

とか言いながら、それはそれは嬉しそうでした。
しかし、子供の想像力はスゴイ!

昨晩は、寝室から何回かリビングに見に来て、その甲斐があってメスが姿を見せてくれて、(娘曰く)「マネがカブトムシに手を振ったら、カブトムシもこうやって(ここでゼスチャーが入る)手を振ったんだよ。マネと友達になりたいのかな~(満面の笑み)」

でも今晩は、オスの角は見えてたけれど、結局娘が起きている時に姿は見せてくれませんでした。そして娘は睡魔に負け9時過ぎに寝てしまい、そのカブトムシは今は元気にゼリーを食べています。

元気に育て!カブトムシ(と、娘)

(おしまい)

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誰に似たのやら

昨日、娘の幼稚園の授業参観に行ってきました。

授業といっても、希望者(有料だけど)だけで行っている「体操教室」です。

非常に蒸し暑い室内で、4~5歳の年中の子供4人だけで行われていた体操教室。しょぼいと言えばしょぼいけれど、(たぶん他の保護者の方も含めて)見ていた人と、体操のお兄さん?と、もちろん参加していた子供たちは非常に楽しかったんじゃないかな。上手く説明できないけれど、その場の空気が濃密だったというか、親密だったというか。

少なくとも自分はそう感じました。

また、自宅外での(必死な)娘の姿を見ることはあまりないので、(妻からいろいろ話だけは聞いていたけれど)いろんな発見があって感動しました。成長も実感しました。

 

娘は「良い子」です。

親バカで言っているのではなく、彼女は必死に良い子をしていました。妻からも聞いていたのですが、良い子になりたい(少なくともなるべくそうありたい)と真剣に思っているらしいことが、その行動から伺われました。

先生の指示には必ず(それも一番早く、一番立派に)従おうとする。

先「みんなここに座ってねー」

娘「はい!」(ピシッと体育座りで座る)

先「またあまねちゃんが一番早かったねー」

娘(最高に嬉しそうな顔)

まあ、全てにおいてそんな感じです。

決して運動神経が良いわけではない(と思う)のに、何事にも必死に取り組んでいました。

褒められたいのもあるだろうし、できることが嬉しいのもあるだろうし、そしてそれより何より娘は「頑張りや」です。

 

途中で保護者と一緒に体操をするのがあったんだけれど、その内容がいつも自分と娘で遊んでいることとほとんど同じで、ちょっとビックリ。

「膝の上に立つ」「足の上に座って揺らされても落ちない」「足の上に乗って一緒に歩く」などなど、我が家の定番ばかり。楽々こなせて、先生もちょっとビックリしてて、娘も(実はパパも)鼻高々のピノキオ状態でした。エッヘン!

 

その後の、クラス担任の先生との個人面談は・・・・・

昨年の担任の先生たち(辞められたんだけど)が懐かしくなりました。

悪い人ではないんだろうけど、何に対して誠実なのか?は、分かっちゃうもんなんだなー。

昨年の先生達は、経験不足で不器用ではあったけれど、子供たち一人ひとりに対して実に誠実だったと改めて思いました。

園に対して誠実?自分の理想に対して誠実?見栄えの良いクラスに対して誠実?

 

「先生ってやっぱり人柄がすべてだな、自分も気をつけなきゃなー」と改めて強く感じました。

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今日は仕事が早く終わったので

<今日は、ここ数回とは趣を変えた記事を載せます。この記事は、基本的には他に書いている日記からの転載ですが、こっちにも書いておきたかったので>

 

今日は、子供たちがテスト中のため普段とは違った時間割。

夜のクラスに自分の名前はなかった。(って、リストラされたんじゃなくて、ここ数週間土日も無しに働いたので「今日はお疲れ!」って感じで早上がりでした)


6時半に自分の授業が終了して、みんなには申し訳ないけれど「お疲れさん」って即教室を飛び出した。

家に帰る途中で妻にメールして、家の前の駐車場で妻と娘と待ち合わせ。
普段は自分の仕事が遅いので、仕事帰りに娘が起きてることなんてめったにない(全くない?)から変な感じでした。

その後、車で近くの自然公園(いつもランニングしている公園)へ。

そして公園の駐車場に車を止めて、大きな懐中電灯を張り切って抱えてる娘と妻と一緒に夜の公園に入っていったのでした。



なぜでしょうか?



それは、



『ホタル』を見に行ったのです。



普段から走っている公園だから、ホタルを保護していることは知ってたんだけれど、実は近くに住んでいて一回も見に行ったことはありませんでした。
娘が早寝だということや、妻が虫嫌いだということや、自分が夜遅い仕事だということや、その自然公園のホタルが生息している場所は結構奥の方だってことなんかがあって、今まで家族で「見に行こう」って話がでたこともありませんでした。

ですが、ご存知のように我が家は(娘だけ?)空前の「虫ブーム」到来中です。(詳細は以下のブログを↓)

http://jidaiokure-blog.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_44a9.html

また、娘も9時ぐらいまでは起きていられることもあるようになったので「よし、見に行こう」と昨日、急遽決まったのでした。



気になっていたお天気も何とかもち、真っ暗な公園を歩いている途中、懐中電灯にいろいろな小さな虫や蛾が引き寄せられてくる楽しい状況の中、緊張からか無口になってきた娘の手を引き、もうそろそろ見られる場所だよなーと思っていると、

「あっ、あそこ!」と妻が声を上げ、

「光った」と娘も叫びました。

慌てて懐中電灯を消すと、確かにそれは林の中を飛んでいる小さなホタルの光でした。久しぶり・・・。

実家が田舎だったので、高校時代なんかは部活帰りに田んぼの中の道でホタルが群れで舞っている光景を見たりもしたのですが、そういえばここ最近は見てなかった。ホント、久しぶり。


その小さな光をしばらく見つめた後、そのちょっと先にある保護地域に行きました。
そこには、他にも家族連れやカップルなんかが数人いて、時期的にピークはとうに終わってはいたんだけれど、それでも小さな光が点るたびに「オオー」とか「綺麗」とかの言葉が洩れ聞こえてきていました。
ただ、明らかにその場で一番大きな声で感動していたのは娘でした。

本当に嬉しかったんだろうな。自分たちも嬉しかった。



帰り道でも、ちょっとした夜の公園の冒険を楽しんで、懐中電灯やその影で遊んだり、また大きなカタツムリも見つけて(持ち帰らずにそのままにしておきました)娘はその場を立ち去りがたくて、ついにはお漏らしまでしてしまったんだけれど・・・・・楽しかった。実に。

その後は車に乗ってすぐに寝ちゃうほど眠かったんだね。よく頑張りました。


「おしまい」

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成長するとは、失うことでもある

数週間前、毎日のようにカタツムリを探していた娘は、かくれんぼをしている時に、

「いたー、いたよー!」

と大きな声で叫び、その手に(とても小さな)ナメクジを載せていた(らしい)。

もちろん、それはカタツムリではないのを知っていたのだが、ナメクジにも同様の愛着を持てていたのは間違いない。

(ちなみに、その小さなナメクジは、翌日には虫かごの中で干からびて、より小さくなってしまっていた)

 

その後、自分と散歩している時に、

「あっ、ナメクジ」

「ねえパパ、ナメクジ家に持って帰っていい?」

と聞いてくることもあった。

 

昨日のこと、雨の中、幼稚園バスから降りてきた娘と傘をさしながら歩いていると、

「あっ、ナメクジ」(←ここまでは先日と同じ)

「キモチワルーイ!」(←ここが先日と違う)

 

その後、いろいろ話を聞いてみると、どうやら幼稚園でもナメクジを見つけた娘は、友達たちから「ナメクジは気持ちの悪いものである」と、教わったらしい。だから前述の「キモチワルーイ」のセリフには、妙に楽しそうな明るさがあって、本当に気持ち悪いと思っていないのは明白。本当は今でもそんなに嫌じゃないはず。

でもたぶん、娘がナメクジを本当に(私たち大人と同様に)気持ち悪いと思うまでにそう時間はかからないだろうな、とも思った。

そうやって周りの世界は(ある一定の規格に沿って)作られていく・・・・・。

 

成長していくということの一つには、そういった周りへの順応(もちろん、逆説的な意味合いでの)も含まれている。

成長していくにつれて失われていくことの多くは、案外こんなものなのかもしれない。

私たちは、実に多くのものを失ってきた。

そう実感した。

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父の日

来週の日曜日は「父の日」

 

昔、父の日に近所の文房具屋でコンパスを(兄弟3人で)買って贈ったことがある。

当時、父親が製図の仕事をしていて、子供ながらになんとなくそれ(コンパス)が仕事に使うものに感じていたから。

もちろん、文房具屋の(小学生が使うような)コンパスは製図に使うような代物ではなく、父親にしてみれば無用のものだったと思うけれど、本当に嬉しそうに「ありがとう」と受け取ってくれたことを覚えている。

 

なぜ覚えているかというと、翌年もそれを買おうとしていた自分たち3人に母親がそれとなく「もう、それはやめたほうがいい」と匂わせたので、「そうか、これは実はそんなありがたいものじゃないんだ」と感じたことを覚えているから。

その時の「去年は不要なものを贈ったかもしれない」という失望感(うしろめたさ?)と、それを嬉しそうに受け取ってくれた父親への感謝が入り混じった気持ちを覚えているから。

 

その当時は、「もらっても嬉しくない代物をもらったのに、僕たち兄弟を失望させないために喜んでくれた父親・・・」と思っていたけれど、それは違ったな。

今なら分かる。子供からもらって嬉しくないプレゼントなんてない。

あの時の親父は、嬉しく見せたんじゃなくて、心から嬉しかったんだ。

 

そして今、自分には娘がいて、年齢的にも充分父の日に値する?歳になっている。

残念ながら当日は仕事が入っていて、午前中しか一緒にいられないけれど、たぶんあの日の親父のような笑顔を見せることになるだろうな、間違いなく。

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「見上げる」もの④ ~飛び去る蝶と細い月~

数日前、宅配のキャベツの中から、妻の悲鳴と共に発見された一匹のアオムシ。その後、娘の虫かごの中で翌日にはサナギになり、そこから約一週間後の一昨日、自分と娘がサナギを見ていたら、ピクピクって動いていた。娘は大喜び。

そして昨晩あたりから、サナギの色が黒っぽくなって中の蝶が透けているように感じたから、「羽化は近いな」と思ってた。

そして今日、いつものランニングに出かけ、帰ってきてシャワーを浴びて、(朝食兼用の)ピザを食べようとした時、何気なく虫かごを見たらサナギの色が白かった。
「?????」
近寄って見たら、サナギはカラになっていて、虫かごの中に立派なモンシロチョウが留まっていた。
妻と一緒に「スゴイねー」「どうやってこんな小さなサナギの中にこんな立派な羽が収まってたんだろう」とか話していた。残念ながら羽化は見逃したけれど・・・・・感動!

その後、帰宅した娘は大喜び!ずーっと虫かごを見てた。
そして後は日常生活(○○ごっこ遊びや昼寝)を送りながら夕方になり、娘にこう切り出した。

「ねえマネ、蝶々さん逃がしてあげよう」「お花畑のお友だちがたくさんいる所に放してあげようよ」

「・・・・・うん、分かった」
 
 
夕方の買い物ついでに、マンションの横の小さなお花畑に虫かごを持って行って、

「マネ、ふた開ける?」

「パパやって」

「よし、じゃあ開けるよ!」

虫かごの中からなかなか出ようとしないモンシロチョウの下に軽く指をおいて、外に追い出すようにすると・・・

飛んだ!!!

一度飛び立ってしまえば、すぐどこかに飛び去ってしまうと思ってたんだけど、なぜか自分たち家族3人の周りをパタパタ飛びながら、なかなか離れようとしなかった。

その自分たちの周りを飛び回っている蝶を見上げていた娘の顔は、何と言うか、寂しいような誇らしいような悲しいような嬉しいような何ともいえない表情だった。でも、
「バイバ~イ」「さようならー」「また来てねー」って言っていた娘が、最後にこっちを向いて「蝶々さん、良かったね」と、それはそれは嬉しそうに言ったのが印象的だった。
 
 
本当に良かった。
 
 
宅配のキャベツについていて、もう少しで冷蔵庫入りになりそうだったアオムシ。我が家で育って、我が家から飛び立っていきました。
 
 
「ねえママとパパ、またキャベツにアオムシさんついてたらいいね」
と言った娘の横で、「そうねー」と言っていた妻の表情が、何となくこわばっていた様な・・・。

その後、買い物帰りに3人で見上げたお月様。三日月よりちょっと細めの2日月って感じで、紺色の空にくっきりと輝いていた。

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おまちしてます

五味太郎さんの絵本『おまちしてます』

 

娘は五味太郎さんの絵本が大好きなんだけれど、特にこの一冊はお気に入り。今、入院している病室の枕元にあるはず。

「この本読んでから寝たら、こわい夢見ないんだよ」

って言うぐらい、すでに無くてはならない一冊。

(ここだけの話)僕が初めて読んだ時、不覚にも涙が出てしまった本でもある。本当にやって来てくれるのを「おまちして」いたから。

 

『ねえまね、ところでその本には続きがあるんだよ。パパが読むから聞いててね』

 

きれいにさいたから、わたしのしたにごはんをたべにきなさいよと

ふじのはなさんも、

5がつのおしまいまでにはかんせいするから、ぜったいにあそびにきてよと

こうえんのふぃーるどあすれちっくくんも、

はやくかっこいいおいらをとりにきてくれよと

すずめばちのひょうほんくんも、

はやくおみずをちょうだい、えさをちょうだい、まねちゃんのがいちばんおいしいからと

べらんだのばらさんやすいそうのおさかなくんも、

はやくたべてたべて、おいしいよと

びんにはいったぷりんさんやあめちゃんたちも、

はやくかいにきてほしいでありますと

ぽてとやさんのけろろぐんそうくんたちも、

 

そしてもちろん、ままとぱぱも

 

みーんなみんな、おまちしてます。

まねちゃんがおうちにかえってくるのを、おまちしてます。

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娘への(送らない)返事

<今日も、別の日記に書いたものと同じ文章です>

 

今日も病院。

途中、娘が以前予約していた本をとりに図書館へ。
その後、半年ぶりに髪を切りに行きました。というのも、ここ数回は自分でバリカンで坊主頭にしていたので。
やっぱり、プロの仕事は良いなーと思いました。
ちょっとは気分転換できたかな。

ところで、以前の日記(4月10日分)に書いたんだけれども、最近娘から妻の携帯を使ってメールを貰うことがありました。

 

電話ぱぱでんわできないのぱぱへハートハート達(複数ハート)信号ぱぱまだかいてこなぱぱまだかいてこないのぱぱあまねぴいまんたべれたよぱぱへ』

(原文そのまま:絵文字は最も近いものを選択)

訳すとたぶん・・・
『パパ(は仕事中なので、今は)電話(でお話が)できないの。パパへ パパまだ帰ってこないの。パパ、あまねピーマン食べれたよ。パパへ』

 

今日の午前中、久々に1時間以上、ゆっくりと走りながらいろんなことを、本当にいろいろなことを考えていました。
最近、娘のことも含めていろいろ考えることが(考えさせられることが)多い。

そして、暑いくらいの日差しの中、上記の「娘からのメール」の返事を、彼女に送るためではなく、ただ自分の心の中で作っていました。(作っていたというよりは、自然に浮かんできていた)

 

『まねへ。まねはいまびょういんにいるからおはなしできないね。それにまねはまだおうちにかえれないね。ねえまね、まねがいないおうちはなんだかがらんとしていて、ぱぱもままもちょっとさびしいよ。ねえまね、まねががんばっているからぱぱもままもがんばっているんだよ。ちゃんとはやおきしてるよ。それにちゃんとこうやってはしってもいるよ。それからまいにちきそくただしくせいかつするようにしてるよ。だってそうしたほうが、まねがはやくよくなるようにおもうから。ねえまね、まねがよくなっておうちにかえってきたら、まねのすきなぷりんを100こたべよう。そしてまねのすきなあそびを100かいしよう。ねえまね、まねがよくなるまでぱぱとままはまいにちあいにいくね。100かいだってあいにいくよ。だからはやくよくなっておうちにかえろうね。まねへ』

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病院にて娘の成長を実感する

<この文章は、別の日記に書いたものと同じです>

<昨日から、娘が入院してしまいました>

 

うちの娘は、昨年の春にも今と全く同じような状況で入院しています。

その時は、まず喉が痛くなったのに最初の病院でもらった薬を飲むのを嫌がって、(たぶん喉が痛かったから)水分を摂るのも嫌がりだして、結局悪化させて入院。
その際に、ママと離れられない(お互いにか?)ので、母子同室の病院を紹介してもらい入院しました。

今回も、「○○病院(←母子同室の病院)にしますか?」と聞かれたそうなんだけれど、「この病院(娘が産まれた大きな総合病院)でお願いします」と、妻が言ったらしい。確かに、娘にとっては生まれてはじめての試練だろうが、乗り越えてもらいたい!と。

今日、一日一緒にいて感じたのは、約一年前の入院時とは全く別人みたいに成長している娘の姿。

遊びの内容(お絵かきや折り紙やお勉強!)もすごく変わったと感じるけれど、何というか、ちっこいなりに精神的に「独り立ちしなきゃ!」って考えている様子がヒシヒシと伝わってきた。

腕に点滴してるから左手が自由に使えなくて、折り紙とかやりづらいのに、「手伝おっか?」といっても「いい、自分でできる」

隣のベッドの子が「ママー」とか「お薬苦いー」とか泣いているのを見ながら、口を真一文字に結んで『自分は耐えるんだ』と決意しているみたいで。
だから、昨年は全く飲めなかった薬も、嫌だとは決して言わないで、体を震わせながら我慢して飲んでいる姿を見ると、自分もグッと来るものがあった。

自分たちの帰り際にも、「帰らないでー」とか「一緒に帰るー」とか大泣きするかなと思ってたんだけれど、決してそれは言わなくて(それを言ってはいけないと”知っている”もしくは”決意している”様子)、「あと、もう一冊だけ絵本読んで」と涙をこらえながら(でも実際はこらえられずに泣いているんだけれど)言っていた。

なんて ”けなげ” なんだ。

普段の健康な時の甘えん坊ぶりとは大違いだな。


今置かれている状況は、決して喜ばしいものではないけれど、図らずとも娘の成長振りを目の当たりにすることになって、驚くと共に、誇らしいような、せつないような不思議な気分を感じていました。


明日もまた行ってきます。幸いにもGW休暇なので。

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「水難の相」があるのかな?

数日前に、娘が近所の公園の池に落ちました。ここ数ヶ月で2回目です。

それが原因ってことはないと思うけれど、その後、娘は熱を出しました。

 

自分の記憶に刻まれている思い出、

(たぶん)自分は5歳ぐらいで妹が3歳ぐらい、兄が7歳ぐらいの時、兄弟3人で家の裏の(たぶん)ため池のそばを通った時に、妹が手に持っていた小さな花を池に落としてしまい「お兄ちゃんとって」と自分に言って、自分はそれが取れなくて「取れないからもう行こう」と歩き出したその後ろで『バチャン!』って音がして振り返ったら、妹が池に落ちていた。

バタバタもがいていた妹は池の中ほどに流されていって、どうしていいかわからず足がすくんで何もできない自分。

その時、鬼の形相で(なぜか顔を覚えている)裸足で走ってきて、その勢いのままで池に走りこんで妹を抱き上げた母親。兄が家に(家のそばだったことが幸いだった)走っていって報告したらしい。

もし、その場に兄がいなくて、妹と自分の二人だったら・・・・足がすくんでいた自分の目の前で・・・・。

 

自分の小学1年生のときの記憶、

泳げない(息継ぎができず、バタ足しかできない)のに、海でシュノーケルで沖まで行った自分は、波をかぶったときにシュノーケルに水が入り一気におぼれました。

口から外れたシュノーケル、遠くにいておぼれている自分に全く気付かない人たち、深く沈みこんでも全く届かない足。

おぼれてパニックになっている自分とは別に、頭の片隅に「覚悟を決めている」自分がいた。「こんな形で終わるんだ・・・」と思っていた。

あの時、調子に乗って沖まで出ていたことが幸いして、遠くにブイが見えなかったら・・・・

そこまで死に物狂いで泳ぎ着き、それにしがみつきながら震えていた。

でも、結局誰にも気付かれず、また、命がけで浜辺まで自力で戻った。泳げないのに。

 

 

そんなこんなで、「我が家には水難の相があるのかもしれない」と最近思った。

まあ、命に係わるようなことはないと思うけれど。

ちょっと気になった。

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4年前の今日と6年前の今日

常識では測れない、不思議なことって存在する。

 

 

4年前の今日(1月30日)、家族が一人増えた。

本当に嬉しかった。

 

6年前の今日(1月30日)、一つの命が、この世に生を受ける前に逝った。

心の底から泣いた。

 

 

4年前のこと、その数日前から感じていた。

「1月30日に産まれる」

そう感じたことに理由はない。ただ、そうなるって分かっていた。

だって、大切な命が逝った日、その日を選んで来てくれると思えたから。

 

いつか、彼女に話そうと思う。

「君たちは、命を受け渡して、そしてここに来てくれたんだよ」

「君たち二人に会えて、本当に幸せだよ」

今、目の前にいる命と、小さな写真でしか見られなかった命。

 

どちらも、大切な命だから。

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一人の親として

自分が親になってから、特に

「親としての気持ち」に胸が詰まる時が多い。

親として、もしかするとその前に一人の人間として

全的に愛する、全的に信じる、全的に心配する、

そんな気持ちに。

 

特に、自分のことよりも、他人の気持ちに思いが至る時、心が震える。

たとえば、映画の「今、会いに行きます」を見た時、自分の死を受け止めた上でわが子の将来を心から心配し、そして信じ、そしてそんな親の愛を(映画=つくり話と分かった上で)感じた時、それを自分に置き換えずにはいられなかった。

仕事がら、親子の愛憎を見る場面が多いけれど、なんだかんだ言ってもやっぱり親は子供を心配している。そして愛している。ただ、お互いに表現の仕方が下手なだけ。

 

妹が近所の池に落ちたとき、はだしで駆けてきた母の姿は一生忘れない。

自分の娘が痙攣を起こし救急車を呼んだときの自分の狼狽ぶりは一生忘れない。

 

子供を残して逝かざるをえなかった人の無念さに思いを馳せるとき、この世のどんな悩みもすごくちっぽけに感じる。

取り返しのつくこと、努力で何とでもなること、何度でも挑戦できること、笑い飛ばせること、そんなものに煩わされ悩むのは、何と幸せなんだろう。そう幸せなことなんだ。

 

そう思えば、何でもできる気がする。

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変わらないな

もうすぐ4歳になる娘と遊んでいて、

「基本的に自分も3歳の子と何も変わらないな」って思うことがよくある。

彼女の喜ぶところ、悲しむところ、怒るところ、ズルイところ、甘えるところ、幸せを感じているところ・・・・・おんなじだな。

そりゃ、大人と幼児で微妙な違い(自分はすごろくでコマが一つ取れないだけで泣かないけどね)はあるけれど、人間としての感情を遡っていけばおんなじなんだと思った。

こんなんでいいのかな?って思うけれど、こうも考える。

だから、楽しいのかな?

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人形劇

今日、娘と二人で人形劇を見に行った。

近くの地区センターで行われていた区民向けの無料のもので、正直、積極的に行った訳ではなく、行かざるをえない状況だっただけなんだけど・・・・

これがびっくり! 行ってよかった。

子供だましの素人芸ではなく、”本物”がもつ凄みを感じた。

もちろん子供向けの内容なんだけれど、演じている人たちの動き、しゃべり、全てが明らかに”鍛錬に裏打ちされた”プロとしてのものだった。 素晴らしい・・・。

同じサービス業に従事している者、人前で話すこと(演じること)によって生活している者として、自分を反省した。アドリブではない、鍛錬しているものだけが出せる凄み。たとえ子供向けのものでも、もちろん子供たちは大声で笑って楽しんでいるけれど。その凄みは隠せるものじゃない。

家に帰って調べてみたら、やはりこの劇団は本物だった。

人形劇団プーク(下記HP参照)

http://www.puk.jp/

 

自分には、あの”凄み”を感じさせるものがあるのか?

ってことは、自分は本当にプロと言えるのか?

娘との二人の時間ももちろん楽しかったけれど、自分を見つめ直す良い機会になった。

「日々の鍛錬によってのみプロは存在できる。自覚しろ!オレ」

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