今日のことではなくて数日前のことだったんだけれど、高校時代の部活の顧問の先生が亡くなられました。自分の娘が入院中だったので、『死』に関する話題は避けたくて書いていなかったんだけれど、やっと退院したので書く気が起こりました。
当時の部活の先輩からの早朝の電話(高校の同窓会名簿を見ての高校以来の)があって知らされました。
同期では自分しか連絡がつかなかったらしいので、同期を代表して弔電を送りました。なにぶん我が家もバタバタしていたので、田舎に帰ることはできませんでした。
厳しい人だった。というより滅茶苦茶な人だった。
今のように「体罰」というものが、即問題になる時代ではなく(自分も含めて、そんなの当然と思っていた)、上記の先輩なんて血だらけになっていたこともあった。でも明らかに厳しすぎる部分がある人だったから、先輩たちはどんどん辞めていった(らしい)ので、自分が高校に入ったときは2年生1人(上記の先輩)と3年生1人(2ヵ月後に引退した)の2人しか先輩がいなかった。でも自分はそれを知って入部していた。だって厳しいのは耐える自信があった(中学時代の柔道部の顧問の先生も凄かったから)けれど、ずーっと補欠なのは嫌だったから。人数が少ない団体競技を狙って入部した。(中学時代の柔道は個人競技だったので、とにかく団体競技がしたかった。それも試合に出たかった)
そして1年生は自分も含めて5人。合計7人のバレーボール部。補欠は1人。それは中学時代柔道部だった自分。でも3年生の1人が2ヵ月後には引退したので、自分も(当然のことながら)レギュラーになった。
1年生5人と2年生1人のチーム。夏の大会までの相手は、ほとんど3年生。勝てるわけなかった。でも秋の大会ぐらいから、1年だけ年上の相手にはそこそこいい試合ができるようになった。
でも、その顧問の先生は、先輩たちの多くを辞めさせた先生は、
『1度も、本当に1度たりとも練習に来なかった』
つまり、自分たちのチームは、その先生に全く相手にされていなかった。だからその時は、「先生が練習を見に来てくれるようなチームになろう」といったポジティブな考えと、「見に来ない先生に対する苛立ちや恨み」といったネガティブな感情で練習をしていたように思う。
翌年(自分たちが2年生になった頃)、その先生は初めて来た。そしてこんなようなことを言った気がする。
「いままでのお前たちの練習はクズみたいもんだ。強くなりたいなら教えてやる。でもお前たちについてこれるのか?」
その日からの練習は、激しかった。厳しかった。苦しかった。
でも楽しかった。チームが強くなるのが(素人同然の自分にも)分かったから。
いろいろ教わった。特に身長もない中学時代柔道部の自分には「お前には普通のプレーはできない」と身をもって教えられた。「だからこうしろ」ってことを教わった。
もちろんバレー経験者の1年生が入ってきて、自分のレギュラーも安泰ではなくなって、自主トレの必要性も教わった。クタクタ(という言葉で表すことが可能かどうかは別として)になるまで部活をやった後、家で練習した。スクワットも1000回以上やっていた。身長がなければ飛べればいいだけの事だから。
結果は・・・、結論から言うと、強くはなった。県大会で準優勝した。でも全国大会には出られなかった。あと1勝が遠かった。
でも、今思うことは、
あの時代(中学、高校)にあの先生達にあっていなければ今の自分は存在しない。あれだけストイックな努力を、僕は自分一人ではできない。
ってこと。
滅茶苦茶だったかもしれない。尊敬できない部分も多かったかもしれない。反発も覚えた。でも、『あの時代にあの先生達に会っていなければ今の自分は存在しない』ことは絶対の事実だ。
もらったものが大き過ぎる。
受け取ったものが大き過ぎる。
「尊敬できる」とか「納得できる」とか、そんな言葉どうでもいいぐらい大きいものをもらった。あの滅茶苦茶な日々から。
だから、これだけはハッキリ言える。
『僕は、先生たちのおかげで正面を向いて歩くことを覚えました。』
『僕は、先生たちのおかげで自分に自信を持つことができました。』
当時の自分も感じていた、今思い返しても感じる「滅茶苦茶」で「不条理」な「全然尊敬できない面も持った」先生。
でも与えてもらったことは果てしなく、僕はそれを少なからず受け取ることができました。
感謝しています。ありがとうございました。先生と過ごした時間には、一片の後悔もありません。
安らかに眠ってください。生きている間は(特に当時は)激しすぎたと思うので。
さようなら。
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