文化・芸術

大道芸を見て感じたもの

今日、家族で大道芸を見に行った。

以前に人形劇を見に行った時(以下のブログ参照)にも感じたんだけれど、

http://jidaiokure-blog.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_ae10.html

目の前の客(姿が見える個、もしくは集団としての存在)を相手に、芸(鍛錬された行為)を披露し、そこに何がしかの『喜びや感動』を与えるってことは、本当に凄いことだ。

特に、素晴らしいパフォーマーになればなるほど「アドリブを排した『再現可能』な行為」がはっきりと伝わってくる。

なにもアドリブが駄目だと言っているのではなく、プロとして当然アドリブは必要なのは言うまでもないけれど、「アドリブ無し」でも充分勝負できる「鍛錬に裏打ちされた(あえて繰り返すけれど)『再現可能性』」があることが非常に重要だと思う。

特にそれで飯を食っていくのであれば、「ある時は食えるけれど、ある時は食えない」ってことはあり得ないのだから、常に披露できることが重要で、また、練習に練習を重ね(それを自分は鍛錬と呼ぶのだけれど)て生み出したもの、身に付けたものは、アドリブ(中心)で見せられるものとは本質的な違いがある。

昔懐かしい「8時だヨ!全員集合」は、(尊敬を込めて敢えてこう呼ぶが)クソ真面目なリーダーの故いかりや長介さんが、練習に練習を重ねその上何度もリハーサルをしたことは有名な話である。

ピカソの絵やジャズのセッションなどは、その気になれば誰も敵わない「基本=鍛錬の裏打ちのあるもの」が備わっているから、最高のアドリブが活きるのだと思っている。

 

技術(芸そのもの、話術、etc)

その習得のための鍛錬

そこで行われなければならない「徹底した模倣」(以下のブログ参照)

http://jidaiokure-blog.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_771c.html

そして、それによって生み出される「再現可能性」

それがあって、初めて「見るに耐える」「飯が食える」パフォーマンスが生じるんだなと思った。

 

特に、今日強く感じたのは、

「また見たい」「何回見ても(同じように)おもしろい」

ってことの重要性。

 

種類は違うけれど、人前で話し、与える仕事をしている自分も、一人のパフォーマーとして「他人事」ではないと感じていた。

鍛錬せねば。

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